Q&A

聖書はジェンダーと性に関してどのように教えているのでしょうか。

ジェンダーと性について 

上記(1)でジェンダー・イデオロギーの考え方を紹介しましたが、もう一度その幾つかの主張を復習しましょう:
◇人類は、男性と女性とに分かれているのではなく、一人一人が「男らしさ」から「女らしさ」まで広がるスペクトラムのどこかに当てはまること。
◇人々は、自分のジェンダー意識に関しては、もって生まれた身体に縛られる必要がなく、自由にそのあり方や表現を自己決定し、変える権利があること。
◇結婚は、一人の男性と一人の女性との関係に限るものとして考える必要はないということ。
◇性行為は、創造者なる神が定めた結婚の枠組みだけのものと考える必要もないということ。

聖書の初めの章に次のような言葉があります。「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創1・26~27)。この個所から教えられることが三つあります。
1)「われわれ」という言葉が2回繰り返されていますが、三位一体の神が人間を創造することについて語り合っていることがわかります。
2)神が人間を三位一体の似姿に創造することを決定したことがわかります。
3)人間が男と女という二つの性別に創造されたことによって、三位一体の神の性質を表していることがわかります。

続いて創世記2章には、男性と女性との結婚が次の言葉で紹介されています:
「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創2・24)。この言葉は神が定めた結婚のあり方として、イエス・キリストによって新約聖書の福音書で再度引用され、パウロによっても引用されています。

さらに新約聖書には、次の文章があります:
「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのおとにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペ5・23~25)

十戒の第7戒は「姦淫してはならない」という戒めですが、これは性行為についての聖書的教えのすべてを一言にまとめている命令です。使徒パウロは新約聖書で次のように同じ戒めを繰り返しています:
「不品行(あるいは「淫らな行い」)を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(Ⅰコリ6・18~20)

上記の聖書個所から、神がすべての人々を男性か女性に創造され、結婚を男性と女性との組み合わせとしてお定めになったことが明らかです。しかも、創世記1章では、それが三位一体を反映する趣旨で定められたこと、エペソ人への手紙5章22~25節では、キリストと教会との関係を反映する目的で定められたことが述べられています。そして十戒、また旧約聖書と新約聖書は、神が定めた結婚の枠組み以外の性行為を禁じています。この聖書的教えはジェンダー・イデオロギーの主張と正反対ですので、聖書を神のことばとして受け止めるクリスチャンなら、上記のジェンダー・イデオロギーの主張を受け入れることはできないのです。


関連記事