Q&A

ゲイ神学側からの主張: 「ソドムの男たちはギャングレイプ(複数による強姦)をしようとしていたので、その罪に定められました。しかし、愛情のこもった二人の合意関係を神は罪と定めません。」 この主張をどう考えたら良いでしょうか。

ゲイ神学について 

創世記18:16~19:29に記録しているソドムの裁きの原因は、二人の御使いたちへのギャングレイプだったからという解釈は間違っています。なぜなら、神の御使いたちがソドムに行く前からすでに神はアブラハムに裁くことを宣言されていたからです。すなわち、その街に「その叫びは非常に大きく」、また彼らの罪はきわめて重い(18:20)ので、滅ぼすのにふさわしいその罪が、ふたりの御使いたちが行く前から溢れていたということです。また、ソドムに限らず、御使いたちが行かなかったゴモラも、その周囲の町々もみなそうでした。二人の御使いたちがソドムに行った時、町の男たちがロトの家に押し寄せてからその重い罪がなんだったのかが19章5節で明らかになりました。「ロトに向かって叫んだ。『今夜お前のところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ』」。「知る」とは性的関係を持つという表現で、ここでは同性愛の罪だったということです。ユダの手紙7節がその状況を明確に解説しています。「また、ソドムとゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。」ここでは、同性愛関係を「不自然な肉欲」、すなわち、愛情があるかないかの問題ではなく、神が意図して創造した自然に逆らう肉欲であると呼んでいます。同性愛行為そのものは、たとえ二人の間に愛情があり、慰めがあり、二人の一体感をその時に味わうことはできても、それは神が意図されなかった不自然な肉欲と定め、重い罪としています。


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