ナッシュビル宣言の解説

第10条

私たちは、同性愛の不道徳やトランスジェンダリズムを認めることは罪に加担することであり、そのようなことを認めることは、キリスト教の信仰と証しから本質的に離れることであることに同意する。

私たちは、同性愛の不道徳やトランスジェンダリズムを認めるかどうかは道徳上の問題ではないとか、誠実なクリスチャンの間では多様な見解を認めるべきだという考えを否定する。

解説

聖書が書かれた時から現在に至るまで、熱心な信仰者たちは聖書の正確な解釈と理解に関して完全な一致を見ることができず、頭を悩ませてきました。その問題を乗り越えようとする一つの手段は、クリスチャンの学者や主だった牧師たちが集まり、皆が同意できる重要な教理を中心とする信仰告白や信条を文章化し、それを発表することでした。その有名な例として「使徒信条」や「ウェストミンスター信仰告白」があります。多くのクリスチャンがこのような信条や信仰告白を中心とした交わりの内にキリストの体としての一致を自覚し、その一致を保とうとすることは間違いなく素晴らしいことです。

 しかし、多くのクリスチャンが誤解していることがあります。それは信条や告白に含まれている内容に一致や同意さえしていれば、その他のことに関してはどのような意見の違いがあっても問題がないという考え方です。と言いますのは、信条や告白はある特定の時代の状況で限られた数の人々が判断して選んだ教理だけを反映していて、聖書の全ての教えを含んでいるわけではないからです。例えば、5世紀の信条にどうしても含まれなくてはならないと当時の人々が判断した内容と、21世紀の私たちが判断する内容は当然違います。それは、信条や告白はクリスチャンが同意するメジャーな教理を含むと同時に、その時代の信仰の戦いにとって重要と思われる聖書的内容をも含んでいるからです。昔の信条には性倫理に関する細かな宣言がなかったからこそ、今この時にこのナッシュビル宣言が必要とされると、多くのクリスチャンのリーダーや学者たちが判断したわけです。

 しかし、信条や信仰告白に含まれていなくても、聖書がはっきりと教えている内容であれば、どの時代であれクリスチャンはその教えを信じ、その教えに忠実に行動する必要があります。性やジェンダーに関するそのような実例の一つは、同性愛行為が不道徳であることに関する聖書的教えです。もう一つは、トランスジェンダーの思想と行動に関する聖書的教えです。この10条は、この問題に関してクリスチャンがどう信じるかは、この時代に生きる私たちの信仰にとって本質的な問題であると主張しています。また、他の教理に関しては同じ立場に立っているので、性倫理のことは無視して自由に交わり、全面的に協力し合うべき、という立場は聖書的ではないことも主張しています。(2ペテロ2:3をご参照ください。)